戦国ビッチピンボール6

山腹に巨大ラブレター 「桃源郷」になった神奈川県最北端のまち

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
旧藤野町に造られたアート作品の中でも特に目を引く「緑のラブレター」=相模原市緑区で2023年12月7日午後3時52分、田中綾乃撮影 拡大
旧藤野町に造られたアート作品の中でも特に目を引く「緑のラブレター」=相模原市緑区で2023年12月7日午後3時52分、田中綾乃撮影

 神奈川県最北端に位置する相模原市緑区藤野地区(旧藤野町)。車を走らせると、巨大なラブレターや雨を表現したオブジェなど、屋外に造られたアート作品が目に飛び込んできた。湖や森に囲まれた人口8000人ほどの山間地で、なぜアートが盛んなのか。現地を歩いてその訳を探った。

 「ようこそ芸術のまちへ」。地区の入り口となるJR中央線藤野駅前には、こう書かれた看板が掲げられていた。「芸術の道」と名付けられた約6キロの散策路では、山の中腹に造られた巨大な「緑のラブレター」という作品のほか、自然に溶け込んだカリブーの像など約30点の作品を楽しめる。

 地区にはアーティストやクリエーターら約300人が住むほか、工房やギャラリーが集まる「アートヴィレッジ」、芸術を通した授業を実践する私立学校もある。さながらアーティストの「桃源郷」のようだ。

「芸術の道」に点在するアート作品の一つ、「雨」=相模原市緑区で2023年12月7日午後4時34分、田中綾乃撮影 拡大
「芸術の道」に点在するアート作品の一つ、「雨」=相模原市緑区で2023年12月7日午後4時34分、田中綾乃撮影

 アートを前面に打ち出したまちづくりは、2007年に相模原市と合併する前の旧藤野町時代までさかのぼる。当時の町職員らによると、神奈川県は1980年代、相模川流域自治体での再開発を目指したが、旧藤野町は山間部だったことに加え、水源地でもあるため、大規模なインフラ開発は見送られた。代わりに持ち上がったのが、「ハード面」ではなく、アートという「ソフト面」を重視したまちづくりだった。

 実は、旧藤野町にはアートの下地があった。戦中に国鉄が開業した藤野駅は東京とつながり、画家・彫刻家の藤田嗣治ら多くの芸術家が疎開し作品も制作した。彼らは町を芸術都市とする構想を県庁に提案したほどだったという。

藤野町職員として「芸術のまち」を目指して町づくりを進めた河内正道さん=相模原市緑区で2023年12月14日午後3時26分、田中綾乃撮影 拡大
藤野町職員として「芸術のまち」を目指して町づくりを進めた河内正道さん=相模原市緑区で2023年12月14日午後3時26分、田中綾乃撮影

 80年代の再開発計画の際にこうした動きが注目され、「芸術のまち」の復活を目指すことが決まった。具体的には、豊かな自然の中に彫刻を置く「自然と彫刻との調和」を進めた。また彫刻と音楽を融合したコンサートなどのイベントも開催した。

 こうした中、次第に町への移住を希望するアーティストも増えていった。町は空き家を紹介したりするなどの移住の支援を行い、移住者に地元の祭りで美術を担当してもらうなど、地域に溶け込めるような取り組みにも力を入れたという。旧藤野町職員の河内正道さん(74)は「藤野は(インフラの)開発をしなかったからこそ、森と自然が守られ、人の活動も続いた」と振り返る。

 地区では22年に、「SDGs with ART」をコンセプトとする交流拠点「森のイノベーションラボFUJINO」(森ラボ)の本格運営が始まるなど、新たな取り組みも進む。今後もアートのまちとしての存在感が高まりそうだ。【田中綾乃】

あわせて読みたい

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月

ニュース特集