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39歳まで現役「土俵の鉄人」早すぎる別れ 元関脇・寺尾の錣山親方

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新十両昇進に際して本名の堀切からしこ名を改め、笑顔の阿炎(左)と師匠の錣山親方=東京・両国国技館で2015年1月28日午後0時40分、井沢真撮影 拡大
新十両昇進に際して本名の堀切からしこ名を改め、笑顔の阿炎(左)と師匠の錣山親方=東京・両国国技館で2015年1月28日午後0時40分、井沢真撮影

 17日に60歳で亡くなった大相撲の元関脇・寺尾の錣山親方は、昭和から平成にかけて土俵を彩った。39歳まで現役を続け、歴代7位の1359回連続出場を果たした「土俵の鉄人」に、あまりにも早い別れが訪れた。

 細身ながら強敵にひるまず立ち向かった。同じ昭和38(1963)年生まれの元横綱・北勝海(現八角親方)や元大関・小錦らとともに「花のサンパチ組」と呼ばれた。7個の金星を獲得した一方、横綱・千代の富士に大技のつり落としで敗れたこともあった。

 引退後は独立して錣山部屋を創設。自身の子供の頃のニックネーム「アビ」にちなんでしこ名に付けた阿炎は関脇まで昇進した。

 その阿炎は2020年7月場所中に新型コロナウイルス感染対策のガイドラインに違反し出場停止などの処分を受けた。「はめを外してしまうところがあった。それを指摘できなかった、気づかなかった自分が悪い」と述べ、結婚直後に家族と離れて部屋での生活を命じられることになった弟子を支えた。

 近年は体調を崩し、15年秋場所は不整脈の検査入院のために途中休場した。当時同じ審判部で副部長だった兄の井筒親方(元関脇・逆鉾)は「心臓が肥大気味なのは間違いない。稽古(けいこ)していたから」と、現役時代の猛稽古が心臓に負担をかけていたとの見方を明かしていた。阿炎が幕下から再出発して22年九州場所で初優勝を果たした際は入院中だった。

 痩せた姿が心配される一方、ファンの写真撮影に応じたり、テレビ解説では力士に優しさだけでなく時に厳しく語ったりする姿は好評だった。

 錣山部屋の稽古場には山本五十六(連合艦隊司令長官)の「男の修行」の額が掲げられている。同じ角界に飛び込んだ2人の兄が先に亡くなり、悲しみに耐え、自らも病と闘いながら弟子やファンを大事に思い続けた。その姿と重なる。【村社拓信】

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